博士論文報告会での先生方のバトル
博士論文が書きあがったら、最後にComitte(審査委員)の先生方に報告会をします。この報告会で、審査委員の先生から、正式に博士論文として出版してもいいよ、と許可が下りたら、無事博士論文校了となります。
報告会では、どんな論文なのかプレゼンテーションをします。審査員の先生方は、大学の教授たちで構成されています。その場で、ここの言い回しは良くない、この部分は相応しくない、筋が通っていない、など様々な注文が付けられます。
いつも見慣れている先生が、とても真剣な表情で見つめる中で、報告会は行われます。博士論文は大学を代表する文章なので、先生方もいつになく真剣です。私の報告会の時には、声楽の先生(女性)とピアノの先生(男性)の間で意見が食い違い、その場で先生同士が議論を始めてしまいました。
「結論で、バツェヴィチが”女性作曲家”として成功した、と書いているけれど、そこまでに、”女性”であることと”作曲家”として成功したことの因果関係は全く書かれていないじゃない。”女性作曲家”と最後に取って付けたように書くのはやめなさい」
「しかし、彼女が女性作曲家として成功したことは事実だし、女性作曲家が、マイナーな世界なのは事実なので、そこは問題とはならないだろう」
「その考え方は間違っているわ。私たちは”女性”であることを無意味に強調することで、自分たちの本当の価値を下げてしまうこともある。もし女性作曲家という言葉を使うのなら、理解できるように説明する必要があるわ」
先生たちのヒートアップする議論を聞きながら、確かに「女性」ということばをむやみやたらに強調するべきではないと実感したことを覚えています。
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